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“叙勲を拝受して、会計学を頼りに人生を歩んできた私の想い出”

末政 芳信

 

一、

 この度平成18年春の叙勲に際して、はからずも、私は瑞宝中授章を、拝受する栄誉に浴することができました。
 これもひとえに、数多くの方々の温かいご指導とご支援の賜ものと感謝いたしております。近畿会の諸先生方にも日頃、何にかとご交誼を願い、お世話になり、今回の叙勲も祝福していただき喜んでおります。
 さらにまた、今回、近畿会CPAニュースに執筆する機会を与えていただきうれしく思います。しかし、私はここ数か月間、何かと雑用に追われ、まとまった論考を書かせていただくことができません。そこで、この度の叙勲受章を受けて、多くの方々にお会いでき、様々な想いを抱くことになったことの雑文を書かせていただきたいと思います。
 

二、

 この度の叙勲受章につきましては、各方面の数多くの方々の温かいご支援と、ご盡力によるものと、深く感謝致しております。
 私への叙勲申請は、学校法人関西大学理事長を始め、関西大学関係者の多くの方々のご盡力により、功績調書はじめ関係申請書類も約50頁に及びました。その申請書類も平成17年9月に文部科学省に提出され、その後、文部科学省のチェックの後、そのご推薦により“教育研究功労”が認められ、関西大学名誉教授として、瑞宝中授章が受章できました。さらに、去る5月11日には、宮中の春秋の間で、天皇陛下の拝謁をも賜りました。
 瑞宝中授章は、日本公認会計士協会会長経験者が受章されるものと同じ高い勲位のもので、私としては、身にあまる高い勲位の受章として恐縮しております。
これも“教育研究功労”について、関西大学でのゼミナールの教え子が、社会のために多大の貢献をしてくれている
ことが評価されたものと、思っています。
 その一例として、私のゼミOBの公認会計士の活躍です。近畿会所属の私のゼミ出身の公認会計士は計22名です。お名前をあげると、石川昌司氏、廣瀬季永氏、古江誠司氏、    園木宏氏、増井千代一氏、大崎光夫氏、海崎眞信氏、成瀬幹夫氏、前田雅行氏、石黒訓氏、岩本吉志子氏、陰地弘和氏、渡部健氏、藤井栄喜氏、平井文彦氏、金志煥氏、大澤里美氏、村井一雅氏、木谷充男氏、福井健司氏、上田啓二氏、林一平氏です。さらに協会の他の地域会所属の私のゼミ出身の公認会計士はその外に8名おられます。これら合計30名のゼミ出身の公認会計士は、30私の最も誇りに思っている方々です。
 さらに、ゼミ出身の会計関係の専門家として、各地方で合計約80名の税理士の方々が活躍されており、また、国税関係の職員としても、約40名の現役及びOB職員がおられます。
 さらにまた、上記分野以外の社会の各方面で活躍されている私のゼミ出身者は、約700名近くになると思います。
 これら社会の各方面で活躍されているゼミ出身者の社会への貢献によって、私の教育功労が認められたものと理解しております。ゼミOBには、教えたことよりも、教えられたことの方が多く、教職に就いていたことを喜んでおり、また、これらのやさしい教え子に支えられて、今日まで私は生き長らえることができたものとも思っている。
 

三、

 次に、私自身のことを回想しながら、書かせていただきます。
 私は兵庫県の片田舎で商家に生れ育ちました。昭和20年に関西大学に入学し、以後、大阪在住となり、昭和25年に関西大学商学部を卒業しました。人生にはいくつかの転機が訪れるといわれていますが、私の転機は、昭和24年の代1回目の公認会計士第2次試験に学生として合格することができたことによります。そのため、大学卒業後、会計学の専門家を目指すことになりました。
 しかし、昭和25年当時、わが国公認会計士制度が始まったときで、会計士補としての実務補習を受けることが困難な時代でした。
 なお、振りかえって当時の古い記録をみると、昭和24年の第1回第2次試験は、全国受験者総数は、528名で、合格者70名、合格率13.3%でした。この70名の合格者には、後の早稲田大学教授 染谷恭次郎先生、同じく日下部與市先生、中央大学教授 稲垣冨士男先生、同じく富岡幸雄先生がおられ、さらに日本公認会計士協会元会長山上一夫先生、同じく川北博先生の名前がみられます。なお、当時の大阪財務局管内では、全国70名の合格者のうち、僅かな11名でした。
 私も翌年早速、会計士補登録をしましたが、その登録番号は第35号でした。登録の後、会計士補として実務補習を個人の公認会計士事務所で受け、その後に、他の会計実務の見習いもしました。
 この昭和25年、26年、27年当時、わが国の公認会計士監査制度の将来について、未確定要素が多く、私は公認会計士の道に進むべきかどうかを悩みました。
 その当時、私は関大の恩師植野郁太先生のすすめで大学院に在籍し勉強をしておりました。そこで進路方向を少し修正して、昭和28年6月に関西大学商学部助手(管理会計論)に採用していただきました。その昭和28年秋の公認会計士第3次試験には幸運にも合格できました。またその合格発表は近畿会会計士補部会の一委員として、東京出張の会議中に知らされました。そのときの感激は、今でも忘れておりません。
 なお、昭和28年秋の公認会計士第3次試験は第2次試験合格者の受験生のみで、全国で合計65名受験しました。その合格者は35名でした。私もその中の一名に入ることができました。その合格者の中に、慶応大学元教授 会田義雄先生と、中央大学元教授 富岡幸雄先生の名前が見られます。この年の第3次試験の合格者は大正生まれの方が殆どで、昭和2年生まれの最年少組はそのうち僅か3名でしたが、私もその中の一人となることができました。
 私はその翌年2月に公認会計士第851号として登録することができましたが、しかし、公認会計士本来の道に進みませんでした。
 そこで関西大学での助手を続け、昭和32年4月 商学部専任講師、昭和35年4月 商学部助教授に昇進し、さらに昭和40年5月に、アメリカのスタンフォード大学ビジネス・スクールで約10か月間、会計学研究を行いました。この滞米中には、米国公認会計士制度の勉強と調査も行いました。
 昭和41年3月の帰国後、教授に昇進していただくため、著書『短期利益計画計算』(白桃書房)の完成に向けて努力しました。しかし、その当時、商学部の某ボス教授から、私が公認会計士業務を行っているとの嫌疑をもたれ、教授昇進に支障するとのことで、残念ながら、私は公認会計士登録を抹消しました。その疑いが晴れて、昭和43年4月には、商学部教授に昇進することができました。
 昭和46年には、わが国の監査法人も次々と設立されるようになり、私も、その秋に再び公認会計士登録を第4644号ですることになりました。私は教授昇進後も、やはり、公認会計士への夢を捨て去ることができませんでした。できれば、会計学の勉強と会計実務の勉強の両者を、積み重ねることができればと考えました。
 そこで、昭和47年頃から、中央監査法人にお願いし非常勤顧問として、海外市場進出への日本企業の英文財務諸表作成、海外監査業務の調査などの手伝いをさせていただくことができました。
 さらに昭和50年には、わが国連結財務諸表制度の開始に先がけ、約3週間に亘る欧米の実務調査視察団に参加し、視野を広げて、いち早く連結財務諸表制度の勉強を精力的にしてきました。
 この頃から、私の研究姿勢は実際の会計数値を尊重し、会計理論と会計実務とのつながりを重視することになり、その研究領域として、“連結会計とセグメント会計”の両者を中心的に取り上げるようになりました。そのため、その研究も欧米の会計理論と会計実務、さらにわが国の会計理論と会計実務面の両者をも、努力してその研究を手掛けるようにしてきました。
 その研究成果の一部が、次の著書の発行となり、叙勲申請の功績調書に、関西大学当局より、それを記載していただきました。それは、
 (1)利益図表に関する総合的研究
   その著書として『利益図表の展開』(国元書房 昭和54年発行)。この著書で昭和55年度日本公認会計士協会学術賞受賞、さらに、この一連の研究により関西大学で商学博士の学位を授与されました。
 (2)セグメント情報に関する研究
   財務会計と管理会計の接点となるセグメント情報の研究に着手し、その著書として『IBM社のセグメント財務情報』(同文舘出版 平成5年)を発行。この著書で平成6年度日本会計研究学会太田賞を受賞。
 (3)連結財務情報に関する研究
   財務報告の面で先駆的なソニーの連結情報を先ず取り上げて研究し、その著書として『ソニーの連結財務情報ー第1部開示論』(清文社 平成13年)と、『ソニーの連結財務情報ー第2部財務分析論(清文社 平成13年)の二つの著書を発行。これらの著書により、平成14年度日本経営分析学会賞を受賞。
 さらに、叙勲申請(平成17年秋)以後、連結財務情報に関する研究を続けていたので、次いで『トヨタの連結財務情報』(同文舘出版 平成18年4月)を出版し、叙勲発表日 (平成18年4月29日)までに、研究継続を示すためにそれを発行することができた。
 また、関西大学での要職として、昭和50年4月 関西大学商学部長、昭和60年4月 関西大学大学院部長を務めました。関西大学の内規では、二つ以上の部長職以上の経験者が叙勲申請対象資格者となっているようです。これに私も該当し、さらに、昭和28年6月以降、平成10年3月の定年になるまでの44年10か月間、専任教員として勤務し、定年後、直ちに関西大学名誉教授を拝命し、それ以後、今月まで大学院と社会学部で非常勤講師として8か年間授業を担当しています。従って、専任教員と名誉教授として、関西大学に合計約52年間継続して努めたことが、関西大学の叙勲申請の一つの理由になっています。
 以上のようなことによって、教育研究功労が認められ、文部科学省推薦で瑞宝中授章が拝受できました。もとより、私は優れた才能の持ち主でもなく、平凡な人間ですが、多くの方々との不思議な御縁と、御支援により、恵まれた幸運を授かったものと思っております。私としては、関西大学で約52年間、会計学を頼りに、その研究と教育に、持続的に務めてきたことだけです。
 

四、

 今後はこの叙勲の栄誉を汚さないように、どのように余生を送るべきか、広く修養を積んでいない私にとって、残された課題となっています。今後共、会員の皆様方に宜しくご指導の程をお願い申し上げます。