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特集 「法令遵守」が日本を滅ぼす!

〜郷原信郎氏へのインタビュー〜(上)

『「法令遵守」が日本を滅ぼす』の紹介

  著者である郷原信郎先生は、東京大学理学部を卒業後、東京地検特捜部、長崎地検次席検事などを経て、現在、桐蔭横浜大学法科大学院法科大学院教授および同大学コンプライアンス研究センター長をお務めになっておられる現下の「コンプライアンス」の権威ともいうべき方です。会報部では、今回、先生の近刊『「法令遵守」が日本を滅ぼす』という書物を取り上げました。
 書物の題名はセンセーショナルですが、その内容は難解ではなく、マスコミでも多く取り上げられている身近な例から、法を形式的に適用することが、必ずしも法が守ろうとしている「社会的要請」を満たすものではないことを指摘されています。
 例えば、ゼネコン汚職、構造計算書耐震強度偽装などの衆知の事件は、法への遵守違反として違反の事実のみを取り上げても、社会的には何ら恒久的な改善にならないことを紹介されています。
 法令を守れば社会の期待に応えられると考えるのは簡単ですが、我々には法に託された社会からの要請を汲みながら、その法を遵守していくという姿勢が必要であるということを言われております。
 

公認会計士にとっての法令と社会的要請

 
(会報部員) 先生のご著書『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)では、法律の機能とその法令についての社会の要請の間にズレがあるにもかかわらず、社会がそれを配慮せずに法令の盲目的な遵守を行うことによって、不毛な結果をもたらすことが紹介されています。
 我々の世界でも、投資家をはじめ証券市場にかかわる人々はもう少し証券取引のリスクを認識していただきたいという意味で、同様のことが生じているように思います。証券取引法に関して法律の機能とそれについての社会一般の認識のズレがあるということに関して、我々には、1980年代から監査とそれに対する投資家の期待が違う(期待ギャップ)ということで、我々自身で自戒してきた歴史があります。
 その中で公認会計士監査に関する社会的批判に対して、機械的、形式的に金融庁の指導を受け入れなければいけない雰囲気が我々の中にないかと気になるのですが。
 

(郷原) 新潮新書の中にも、村上ファンド事件やライブドア事件を書いていますし、証券市場の歴史と環境変化、経済社会の環境変化と書いていますが、いろいろ複雑な要因がこの問題にかかわっていると思います。
 一つは、基本的に昔の証券市場はバクチ打ちがバクチをやっている場で、そこでは企業の実態や財務内容、決算内容はほんの気休めというか、一つの材料にすぎなかったのです。増益や減益よりも値動きの方が重要で、具体的にその業績にどれだけ結び付くかよりも、みんなが良いと思うような材料を先回りして仕入れて買うというような、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」というような世界だったろうと思うのです。
 証券市場がそういう世界だったときには、監査も証券市場の参加者に対して会社の財務内容を保証する機能は、そんなには期待されていなかったのだろうと思います。一応理屈が付く会計処理が行われていればそれで良かった。だから、企業から監査報酬をもらってお墨付きを与えれば良いというのが監査法人や公認会計士の証券市場における役割だったのだろうと思います。
 なぜ証券市場の社会的な機能がその程度であったかというと、日本の金融は基本的に間接金融中心で、直接金融は企業金融全体においてはあまり重要な役割を果たしていなかったからです。そういうことが好きな人はやってもいい。その代わり証券市場に参加することは怖いことだということを証券市場はちゃんと投資家にリスク告知しなさいといって、ちゃんとやらない証券会社はそれなりに処分や指導をしたりして、大蔵省証券局が目を光らせました。そういう意味では当時、証券取引法というのは業法だったのです。
 バブル経済までは恐らく証券市場がそういう状態のまま、みんなが強気の方向に向かって買いのバクチをやったのです。それがあれだけ大きなバブルを形成してしまった。しかし、1990年代の半ばぐらいから金融ビッグバンや証券市場を含む日本の金融市場が激変してきました。金融の自由化の中で証券市場の役割が企業にとっての資金調達の場という形になってきたのです。そうなると当然、企業金融の中で直接金融のウエートが高まる中、証券市場はフェアでないといけないし、そのフェアネスを実現する要素としてタイムリーなディスクロージャーとインサイダー取引の禁止が証券取引法によって徹底されます。この二つは不可欠な要素です。何よりも企業内容が客観的に正しく投資家に監視されていることが求められるのです。そこで一番大きな役割を果たすのが公認会計士になってくるのは、ある意味必然とも言えると思います。
 しかし、働いている人の感覚を一朝一夕に変えることはできないし、しかもどういう形で公認会計士が投資家に対する保証機能を果たすのかという部分が、まだ十分に成熟していないのではないかと思います。今まで企業は投資家の期待を裏切ってきたではないかと批判される粉飾決算やそれに関連する破綻の事例などでは、必ずなぜそういう不正確なディスクロージャーになっていたのかが問題にされ、それに関連して監査法人の法的な責任が昔とは比較にならないほど問題にされるケースが多くなってきました。
 ところが、監査法人が証券市場に対して果たしていた責任レベルが低かった時代とは違って、とにかく正確に客観的に監査しなければいけないということが証券市場の番人として求められることは間違いないとしても、具体的な内容についてまだまだ詰まっていないところがあります。それが、監査法人が結果責任を恐れているような状況につながっているのではないかと思うのです。そういう意味で、大きなトレンドでとらえると、社会環境の大きな変化に公認会計士や監査法人が十分に適応できていない。昔は証券取引法に書いてある字面と実態が完全に食い違っていた。そういう状況が解消されつつある中で、今までとは全然違う機能を証券取引法が果たさなければいけなくなっているんですが、まだ旧時代の遺跡のようなものが残っていて、証券取引法が証券市場のフェアネスの実現ために十分に機能していないのです。だから、日本の証券市場のフェアネスはつぎはぎなのです。法そのものやその運用、違反行為の摘発など、いろいろな穴を埋めていかなければいけないのに埋まっていない。そうすると、そこから水が漏れます。必ずそこで監査法人は何をやっているのだという話になって、監査法人が本来責任を負うべき部分とそうではない部分とがごっちゃにされる傾向があるということではないかと思います。
 区別すべき問題としては、資産評価をどうするのかについて、会計処理上の方法が90年代中ごろから随分変わりました。それが背景になって起きた粉飾決算事件が多数あります。変わる前にさかのぼって評価自体がおかしかったと言われて責任を問われたらたまったものではないのです。その変化に対して企業がどう適応していくかという問題が先にあるわけです。ただ結果として、そういう考え方の変化についていけなかった金融機関や事業会社の破綻で損害を被った投資家をどうしてくれるのかという話になったときに、どうしても監査法人がその責任の一端を負わされることになりやすいというのが一つの問題です。
 もう一つは、カネボウのように、企業の方が積極的に悪いことをやっている場合です。積極的に事実の面において粉飾決算をやっている。これは本来、公認会計士、監査法人がそういったものについてまで保証すべきか。付け替えをやっていないか、収入を隠していないかという不正調査的なことは、もともと公認会計士の責任範囲に含まれているのかという問題があると思うのです。
 今はあまりそこが区別されないで、結果的に決算が間違っていた、財務内容について偽りの公表が行われたということがあると、監査法人に対して丸ごと責任追及の火の手が上がるという状況ですが、そこはやはりきちんと問題を整理していかないといけないと思います。

 
公認会計士の専門的判断と行政指導
 
(会報部員) 我々は、金融庁の公認会計士・監査審査会の検査などを受けているわけですが、我々は、いろいろな見解や新聞の論調などを素直に受け入れすぎていないかという気もします。このことは、今まで我々が抱いていた会計に関する専門的判断は公認会計士が行うというプライドを揺るがすものになっているようにも思います。専門家としての判断について、我々はどういう軸足を持ったらいいのか?ということを感じるのですが。
 
(郷原) どうしてもそういう印象を持つことになると思います。先ほどの歴史的な経過からいうと、昔は果たしている機能も限定的で、公認会計士としての監査証明業務もある程度フレキシビリティが認められていたのだろうと思います。その部分について社会は特に異論を唱えなかったのです。ところが、先ほど言ったように、最近の証券市場においては、もっと厳密な証明機能を果たさなければいけなくなってきた。その軸がぶれていると、投資家に対する保証機能にはなりません。だから最近は金融庁などの指導をそのまま受け入れないといけなくなっているのではないかと思います。
 私は会計の専門的なことは分かりませんが、そういうフレキシビリティも含めて投資家に理解してもらっていればいいのではないかと思うのです。会計処理の考え方については若干の幅がある、その幅の範囲内で我々はきちんと証明していますよということが示されていればいいのだと思います。それが今の証券市場は、逆にそういう幅を認めないような方向で、行政の指導もそちらにいってしまっているのです。しかし、行政は会計監査のプロフェッショナルではないのです。そこが本当にそれでいいのかどうか。
 確かにどこの誰が監査しても全く同じような内容になるということは、厳密に証明する、監査内容を保証するという意味では一番望ましいのかもしれません。しかし、生きた企業活動が本当に画一的、客観的に評価できるのかどうかという問題もあるのかもしれません。それならそれで投資家に対してあらかじめその可能性もあり得るということが告知されていなければいけない。それが今はあまりできない状況ですよね。そういうところに問題があるのではという気がします。
 

(次号へ続く)

 
●プロフィール
郷原信郎(ごうはらのぶお)
【略  歴】
1955年 島根県松江市に生まれる
1977年 東京大学理学部卒業
1983年 検事任官
1990年 公正取引委員会事務局審査部付検事
1998年 広島地検特別刑事部長
1999年 法務省法務総合研究所研究官
2003年 桐蔭横浜大学大学院特任教授を兼任
2004年 法務省法務総合研究所総括研究官兼教官に就任
2006年 検事退官。桐蔭横浜大学法科大学院専任教授、同大学コンプライアンス研究センター専任センター長に就任
同 年  郷原・米津法律事務所弁護士登録
【主な著書】
「企業法とコンプライアンス」東洋経済新報社
「コンプライアンス革命コンプライアンス=法令遵守が招いた企  業の危機」文芸社
「独占禁止法の日本的構造制裁・措置の座標軸的分析」清文社