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「考えるな」が日本を滅ぼす

植田肇

   近畿CPAニュース11月号を見てびっくりした。監査法人では、補助者に「考えるな」と指導しているとのこと。おそらくごく一部、それも限られた特定の監査法人のことであろうとは思うが、とんでもないことである。
 監査の際、たとえ、簡単なチェックをする場合であっても、数字が合っておればそれでよいのではない。数字の裏にはどういう事実があったのか想像しながらチェックしなければならない。つまり、単なる帳簿のチェック作業であっても、つねに考えることが必要である。ましてや財務諸表のチェックとなればなおさらである。
 公認会計士にとって、もっとも重要な特性は独立性である。そして独立性の中心は自立、すなわち他人に頼らないことである。「考えるな」ということは他人に依存せよと強制していることと同じである。そのような考え方のまま監査責任者になったらどのような監査ができるのであろうか。思うだに背筋が寒くなる。
 ただ他人からの命令を待っているだけというのは、奴隷状態にほかならない。自由職業人の誇りもなにも失ったまことに恥ずべきことである。こういう状態を協会が放置していてよいのであろうか。官僚組織などピラミッド型の組織では上に隷属することが求められる。したがって官僚組織の中では「独立」ということは悪徳であろう。しかし監査人にとっては「独立」は最も重要な特性であり、その要となるのが「自分で考える」ということなのである。
 試験委員もやったことのある、ある有名な会計学者のことであるが、「簿記は形式が重要」と主張し、仕訳の際に勘定科目には必ず括弧を付けねばならず、さもなければ減点しているのだと聞いたことがある。最近財務諸表の様式を規制する省令が頻発されてなかなかそれに追いつけない状況にあるのも、形式重視の発想によるのであろう。しかしそれでは、借方の科目のみしか書かないバウチャーシステムや、総勘定元帳を経ずに試算表を作るコンピューター会計は簿記ではないということになる。会計は形式ではなく実用の学問であり、あくまでも実用本位でなければならない。
 私が年来もっていた疑問は、企業はなにか特色がなければならない、いいかえれば他と異なるところがなければ企業の存続はできない。とすれば画一的なものさしで企業を計測することができるのか、いいかえれば統一的な会計規則をあてはめることが可能なのかということである。最近のように多様な業種にまたがった合併吸収がなされた場合はなおさらである。形式にとらわれた考え方は排されなければならない。
 OECDが実施した国際的な学力調査で、日本の順位が低落傾向にあり、フィンランドがつねに上位を独占していると話題になった。問題は応用力がないということである。日本では暗記ばかりが重視されて、考える力の育成がなおざりにされていることである。北川達夫氏は「ここで重要なのは価値観の共有を前提としないコミュニケイション力である」と主張しておられる(週刊東洋経済1月22日号”学力が高い子が育つフィンランド式の真実”)。ここで取り上げられているのは、例を桃太郎のおとぎばなしにとって、鬼は悪者と決めつけるのではなくて、なぜ悪者なのかを徹底的に議論するというのであり、そうでなければコミュニケイション力がつかないというのである。このコミュニケイション力こそ、監査人にとって最も必要な能力であろう。経営者と投資家(そのなかにも立場の違いはいろいろあるが)とは必ずしも価値観を共有しない。そこでコミュニケイション力が必要になるのである。その際に考える力がなくてはどうにもならない。
 規則はつねに不備や欠陥を伴う。最近は特に法令の改正が頻繁である。頻繁な改正が必要であるということは、そのこと自体が法令には欠陥があることをみずから証明していることになる。たとえば平成13年に制定された中間法人法は、もうはや廃止されている。時代に合わなくなったからである。このように規則は制定されたときから時代遅れが始まる。規則を墨守しているだけでは時代の変化について行けない。それに規則を作るのは神様ではない。法令を作る者といえども、なにもかも見通すことができるはずはない。また言葉は完全無欠な表現手段ではない。規則をまる暗記したり、それにふりまわされたりすることは、ばかげたことである。自分の意見でなく、ただ、規則で決まっているからと押し付けるだけでは、相手から軽蔑を招くだけであろう。そこで自分で考えるということが重要になってくる。「考えるな」と叫ぶことは、とんでもないことなのである。歴史を振り返って見ても、あのばかげたアメリカとの戦争にしても、上からの命令に服従するのみで「考える」人がいなかったために、みじめな目に遭ったのである。
 このごろ「法令遵守」とか「コンプライアンス」ということばがしきりに使われる。そのことは決して規則を文字どおりに守りなさいといっているわけではない。また、規則に反していなければそれでよいのでもない。そのことを郷原信郎氏は主張しているのである。法律万能主義は法律の素人が陥り易い落とし穴である。同氏の著書“「法令遵守」が日本を滅ぼす”は、その結論として、「単なる上命下服のトップダウンの形態でも、根回し中心のボトムアップの組織でも」なく、「組織の構成員全体が鋭敏性を持ち合わせ」るべきであると強調している。コミュニケイション力の不足を規則に頼るのでは、どうしても説得力に欠けて、監査に失敗するのである。
 やはり、監査で最も重要なのは「独立性」であり、独立性については金融庁も公認会計士協会も、それを検査する手段方法がない。そして、マスコミも、とかく独立性についての理解を欠いているのが現状であるといわざるを得ない。そしてもっと困ることは公認会計士協会自身も「独立性」の重要性を本当に認識しているのか疑問があるということである。近畿C.P.A.ニュースで、2ヶ月連続でコンプライアンスについて取り上げたのは非常によかったと思っている。