熊野実夫先生を偲ぶ |
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前田 武和 |
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熊野先生は、会計士人生を通して深い影響を受けた恩人の一人である。先生はシャイだから口説は少ない。しかし、私にとって常に鏡のような存在であった。
平成21年4月5日は、先生が亡くなって満2年目の命日に当る。先生の著書・訳書を介して、在りし日の先生を偲びたい。 |
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私が先生にはじめて会ったのは実務補習所であったが、青柳文司さんの「会計士会計学―ジョージ・オー・メイの足跡―」をテキストに使って講義していただいた。 G.O.メイは、PWのパートナーで創生期のAICPAに貢献した「アメリカ会計職業と会計士学の育ての親」であり、「原理と実践の統合のシンボル」である。渡米中に私淑した青柳さんは、急逝したG.O.メイの悲報に接し、翌年(1961)に「会計士会計学」を出版した。 「会計士会計学」は、公会計士が実践の場で考える会計学である。表題が良い。 会計はコンベンションの世界であること、仮説検証は社会的有用性によること、生活環境の変化に応じてモード・オブ・ソート(思考様式)は変わること等を教えられた。会計士補になったばかりの私には、熊野先生の講義は新鮮な刺激でありました。 青柳さんの推挙もあり、熊野先生は「ベービス 現代株式会社会計」(同文館1968)を出版された。 原著者H.W.ベービスはPWのシニア・パートナーで1965年に刊行。当時の日本公認会計士協会会長の等松農夫蔵氏に序文も頂いての処女出版でした。 |
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熊野さんは、1955年開業以来、会計の専門家として現代社会の困難との関わりを考え続けてきたが、「日照権」や「環境権」を作り出していった法律家や公害問題に取り組む技術者、医者に較べて会計の世界はあまりにも弱い。会計には、現代社会が当面している課題を解決する力が無いのだろうか。この模索と焦慮の数年間に書き溜めたものがこの書物である。
熊野さんは、この中で五つの問題意識を示して、今後の課題として自らに課した。熊野さんの凄いところは、生涯を通じてこれを実践されたことである。 本書の底に流れるものは、自立した市民の誕生への限りなき希求と、そのために自らは専門家である前に人間=「いきる専門家」でありたいという願望である。熊野さんは「本書の公刊は私自身を拘束(アンガーシュ)する」と書いている。 3千年の昔、ギリシャのポリスでは、重要な公職にあった者が任期満了後に義務付けられた会計報告(エウテュナイ)を行う慣行があり、権威者が市民に対して、言葉により弁証的方法で自己の正当性を証明することが必要な社会が存在した。 熊野さんはこれに関連して「ポリスの弁明は権威者の者に対する責任Responsibilityよりも、人に対する責任、換言すれば、事の経過、結末を説明する言語的責任Accountabilityが重視されていた。」と述べている。 会計責任や説明責任の用語法が一般的であった時期に「アカウンタビリティ」を表題として所論を展開されたことは当時としては珍しく、理解を広めるきっかけになったと思われる。 本書は5章から構成されるが、「W.職業としての会計」の「1.会計と人間」は、会計担当者の主体性をテーマに“専門職業家・自立した個人として、組織の中に「生きる」”という思想について論じている。「2.職業としての経理マン」では、職業の倫理と組織の論理の相剋を取り上げる。「3.脱サラリーマン時代」は、“会計で勝負する”の真の意味を問いかけ、「自立の根拠地」について語る。「X.学問としての会計学」と付録の「会計学を学ぶ人のために―1つの読書案内―」をあわせて、若い人たちに読んでいただきたい書物である。 (注)旧い書物なので書店では入手できない。私たちの企業財務情報研究会では、7月3日に予定する第3回研究会で使用する目的で復刻しました。残部があると思うので、FAX:06-6374-6136三馬公認会計士事務所に問い合わせてください。 |
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「企業会計入門」(中央経済社1987.6.1) | ||||||
はしがき抜粋。「会計といえば無味乾燥な数字と規則の羅列のように考えられ、とかく敬遠されがちであるが、本書は、この数字や規則は実は豊かな内容を持っていることを、その背後に隠されている興味深い事実を交えながら語ることによって、会計とはどういうものかの理解を深めることを目標としている。 本書は入門書を志しているが、門は人を迎え入れる門でもあり、また、人が入ることを拒む門でもある。 本書が人を迎え入れる門でありたいとは筆者の願うところであるが、読者においても自発的な勉強を期待したい。勉強とは中国語の本来の意味では少し無理をしてやってみるという意味合いをもつ用語であるといわれる。人生の面白みは学問や仕事ばかりでなく、何事でも少し無理してやってみるところにあるようである。この意味における勉強を読者に期待したい。」 スチュワードシップの報告、会計の法規(コンベンション)に関する記述があり、巻末の83件に及ぶ<参考文献および注>が随所に引用され、興味深い説明に読者は魅了される。他に類を見ない「入門書」である。 |
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「企業財務情報読本・・経理を知らなくてもわかる」(中央経済社1993.7.30) | ||||||
はしがき要約。「わが国の会計人は、資本の収益性とリスクを測定して投資家に分りやすく開示することに最善を尽くしてきたか。 | ||||||
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投資家が必要とする情報はどのようなものか。どのように把握して、最も使いやすいように伝達するには、いまの開示制度にどのような問題があり、また、どのような点を改善しなければならないか。財務諸表の利用者の立場で考えてみたい。」
はしがきの最後尾に、熊野さんは次のように書き足している。 「本書で取り上げた具体的事例は、会計人や監査人が、日常、おかしいと思っているようなものばかりである。おかしいと思いながらも、問題として取り上げて論じる時間的な余裕がなかったり、いつの間にか、それに慣れておかしいとも思わなくなり、大勢の流れるところに順応してしまっているというのが多くの会計人の現状である。 おかしいことはおかしいことと認め、これを是正することを、社会にアピールすることは、時間的に余裕のできた会計人の義務であると考えて、本書をまとめた次第である。」 まことに、熊野さんの指摘どおりである。私たちは深い自省の念を持って、熊野さんの顰(ひそみ)に倣うべきではないか。 |
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2009年4月4日 |
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阪急電鉄の不当な会計処理による責任追及の代表訴訟 |
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松山 治幸 |
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比較的最近の事例を紹介して熊野先生を偲びたい。 | ||||||
事案の概要 | ||||||
平成13年3月期の阪急電鉄の決算は異常な内容であった。同社の平成13年3月期に多額の含み損失を計上することで656億円の臨時損失を計上する一方、阪急宝塚線豊中地区における高架工事に係る工事負担金(378億円)を特別利益に計上した。同社の工事負担金に係る会計処理は、従来取得固定資産を圧縮記帳する処理が採用されてきており利益に計上する処理は実施されてこなかった。他の大手電鉄会社もほとんどはこのような事例の場合には圧縮記帳方式を採用してきている。
同社はこのような処理を採用することにより配当可能利益を確保でき配当を実施した。適正な経理処理を採用していたなら配当可能利益が存在せず、よってこのときの配当総額を会社が損失を蒙ったとして取締役に対して損害賠償請求を株主代表訴訟として大阪地裁に提訴したものである。 |
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熊野先生の対応 | ||||||
この事件について先生に説明したところ、代表訴訟する意義がある事件と判断され積極的な応援を頂いた。高架工事は道路工事との基本に立ち工事負担金は補助金ではなく、その他の資本剰余金であるとの判断である一方、税務上の取扱いから圧縮記帳は許容される処理としても、工事負担金をそのまま利益に計上する会計方式はないと主張された。先生の知人でもある東京大学の醍醐聡先生にもお願いして同社の処理は会計の基本を逸脱したものと陳述書を頂いた。熊野先生は、会計は実態を示すものでなければならない理念のもと、この阪急電鉄工事負担金問題は、先生にとって許すことが出来ない案件であった。 |
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ここで紹介できなかった熊野先生の主な著書・訳書 | ||||||
◆著 書 | ||||||
会社決算の実務(清文社1971) 経営決定の技術(清文社1972・11) 会計法規の適用(中央経済社1976) 偶発債務・保証債務(中央経済社1977・6) 損益分岐点の求め方・活かし方(日本実業出版1979・9) 経理・税金用語1000辞典(日本実業出版1982・7) 会社決算実務総書(永井一之共著)(日本実業出版1986・6) 現代会計の構想(醍醐 聡、田中建二編著) (中央経済社1990・9) 実証研究/電力料金行政と消費者(中央経済社1992・3) すぐに役立つ会社経理実務辞典(日本実業出版1999.11) 時代を読み解くビジネス用語辞典(洋泉社2000・10) |
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◆訳 書 現代企業と不正経理 (A.J.ブリロフ著 熊野実夫、今福愛志、中根敏晴 共訳) (マグロウヒル好学社1990・7) 史上最高の経営者モーセに学ぶリーダーシップ (D.バロン著 セルバ出版2001) |