プレイバック会計本(会報部)

会報部では、会計・監査・法律等の分野における古典的な「名著」を現在第一線で活躍しておられる複数の公認会計士に読み直してもらい、過去の「名著」の現代的な意義を再発見しようとの企画を立てた。現在候補として岩田巖「利潤計算原理」、飯野利夫「財務会計論」、野々川幸雄「異常点監査の実務」、江頭憲治郎「取引相場のない株式の評価」等が挙がっている。第1回は、ややマイナーだが、江頭教授の「取引相場のない株式の評価」を取り上げることとした。
 

強靭な論理の凄さ〜江頭憲治郎
「取引相場のない株式の評価」

 
  江頭憲治郎「取引相場のない株式の評価」(1983年 法学協会百周年記念論文集第3巻所収)は、一流の研究者の論理の強靭さに圧倒される論文だ。江頭教授の名前を知らないという人はいないだろうが、念のため略歴を記すと、昭和44年東京大学法学部卒業、直ちに法学部助手に採用され、助教授、教授に昇進。専攻は商事法。この論文を書かれた時は、まだ30歳代半ばの新進気鋭の若手助教授であった。
 当時の実務を思い起こすと、ディスカウント・キャッシュ・フローは未だ定着しておらず(ファイナンスの教科書では論じられていたようだが株価鑑定の世界では殆ど出てこなかった)、純資産価格、収益還元価格(利益を割り戻す方法)、配当還元価格、類似業種比準価格、それらを加重平均する併用方式が、その意義をあまり深く追求することなく用いられていたのが実状だった。

論文の問題意識は明確で、冒頭に次のように記される。
 
 「本稿は、取引相場のない株式の価格の決定が商事非訟事件手続においてなされる際に、裁判所によって採用されるべき株価算定方式が何であるか、を考察するものである。もっとも、商事訴訟事件、たとえば新株発行価額の公正が争われる事件において、取引相場のない株式の公正な価額を決定する必要が生じた場合にも、それは、利用できる基準である。」 (「取引相場のない株式の評価」449頁)
 
 ところが、本論に入るといきなり「配当還元方式」の話が始まり、読者は面食らってしまう。日頃税法に慣れ親しんでいる私は、当初は何のことか分からず論文を放り投げたものだが、これは実に強烈なロジックに貫かれた明快な主張なのである。つまり経済学のようにモデル化された企業観、即ち、企業とは株主から付託を受けて利潤を追求し、株主のガバナンスがある以上超過利潤は企業内に留保されることはありえず、すべて配当等によって株主に還元されるという前提に立っているのである。だから、教授の言う「配当還元方式」は現在のディスカウント・キャッシュ・フローと同義なのだ。そこには、わが国企業の現実がどうかといった配慮は全くない。オーナー企業の特殊性といった現実に引きずられることも一切ない。あくまで理論的に「株式会社とはかく在るべし」という思考に貫かれたロジックだ。
 
「配当還元方式は、少なくとも理論的観点からみるかぎりは、営利法人(商法52条2項)である株式会社の株式の価格の算定方法として、もっとも適合するものである。なぜなら、営利法人は対外的事業活動によって得た利益を、構成員(株式会社においては株主)に対して、利益配当または残余財産分配の方法によって分配することを目的とする団体であり、かつ、株式会社においては、利益配当または残余財産分配以外の方法によって株主が会社から財産上の利益の提供をうけることはありえない。従って、株式の売買は、経済的に評価するかぎり、本質的には、将来の利益配当・残余財産分配に対する期待の売買に他ならないからである」(同452頁)
 
 この記述からも、教授が純経済モデル的な考え方に立脚し理念型としての配当還元法(即ちDCF法)を念頭においていることがわかる。そして面白いことに、江頭教授は純資産方式(解体価値方式)も配当還元方式(DCF法)に包含して考える。これは解体処分して換価する場合でもそのキャッシュ・フローをDCFの現在価値計算に織り込めばよいからである。純資産価格=清算価値、DCF=継続企業価値というプロトタイプに慣れっこになった私たちにはかなり違和感があるが、言われてみればなるほどという考え方だ。

 
 教授の書く文章は切り詰めた文体で、ゆっくりと眼光紙背に徹するような読み方をしないとメッセージは伝わりにくい。その典型が概説書である「株式会社法」の次の記述である(現在第2版が出ているが、手許にあった初版の頁による)。
 
「営業をゴーイング・コンサーンとして継続した場合に期待されるリターンの総和が、事業用財産を直ちに解体・処分したとすれば得られる対価(解体価値)を下回るケースにおいては、取引相場のない株式等の評価は、後者を基準になされるべきである。」(株式会社法18頁)
 
 これを一読して理解できる学生は少ないのではないだろうか。あるベテラン弁護士の株価鑑定意見書がこの文章を丸写しし、DCF評価額<純資産価格のケースで後者によるべき根拠としているのを目にしたことがあるが、多分よく分からないまま写したんだろうなと苦笑いしたことを思い出す。この点についての教授の真意は、今回取り上げた論文に分かりやすく説明されている。
 
「もし、企業を解体して資産を処分した場合に株主によって得られる経済的利益が、ゴーイング・コンサーンとして企業を継続した場合に得られる利益より大きければ、いいかえると、解体価値の方が配当還元方式により算出される株式価格よりも大であれば、株主の利益のため、会社は、即時に解散されるべきだからである。」(「取引相場のない株式の評価」470頁)
 
 教授は株主のガバナンスという、実はあってないような仮定を前面に持ち出しているのである。即ち、会社を生かして将来カネを稼ぐよりもいま解体して換価したほうが得であるなら、合理的な株主は後者を選ぶはずだとの思考である。しかしながらこの議論は現実には適用しづらい。なぜなら前述のとおり解体処分したときにいくらのキャッシュが入るかは極めて予測が困難であること、会社解体には解雇コスト・残余財産処分コスト・組合対策等を始めとする多大の金銭的費用・時間・労力がかかるため、直ちに解体を実行に移すことは非現実的であることが理由である。けれどもそんな下世話な「現実」には教授は拘泥しない。あくまで大切なのはロジックなのだ。
 
 それでは論理一辺倒の論考なのかというとそうではない。80年代〜90年代の株価算定意見書や裁決例では、税務上の株価と取引上・ファイナンス上の株価がしばしばごっちゃになって論じられていた。そんな状況に対して教授は厳しく糾弾する。
 
「一言で評すれば、従来の裁判例は、国税庁が相続税財産評価をなす際の基準として作成した「相続税財産評価に関する基本通達」に、過度に依存しすぎているといえよう。筆者は、取引相場のない株式の価格の決定に関する非訟事件において右の通達に定められた算定方式に頼ることは、望ましいことではないと考えている。(中略)右基本通達の算式に頼ることが適当でない理由は、それが、大量発生的な事象を画一的に処理するための腰ダメ的基準であるため、対象となった会社の安定性・成長性等個々の特色に配慮するものでない、という点なのである。」(同448頁) 「国税庁が相続税財産評価に関する基本通達のなかで採用している類似業種比準方式または同基本通達の配当還元方式は、まったくの腰ダメ的基準であるので、使用されるべきではない。」(同478頁)
 
 このように教授は税法的な考え方を経済取引の価格算定に持ち込むことを厳しく戒めるのである。それにしても口調の激しさは尋常ではない。また「足して2で割る」といった日本的な併用方式に対しても厳しい意見を述べられる。もし配当還元法(DCF法)単独ではなく複数の評価を併用するのであれば、その根拠を明らかにせよとの主張である。
 
「複数の方式を併用する場合、たとえば配当還元方式により算出される数値に50パーセント、解体価値方式により算出される数値に30パーセント、取引先例価格方式により算出される数値に20パーセントのウェイトをおいてそれらを総合して結論を出したという場合にも、そうしたウェイトを付した根拠(中略)を明示すべきものと思う。右のようなことをとくにのべるのは、従来は、裁判例のみならず学説の間においてすら、個々の方式それぞれについては確立した絶対的な方法はないのだという点を強調して主・従の区別をもうけず、その反面で、複数方式を併用することにより結果的に誤差は少なくなるのだ、ということを強調するものが多いからである。筆者には、一つ一つをとると信頼できない数値をやみくもに複数よせ集めると信頼できる数値になるとは、思われない。そして、それよりも個々の数値を慎重に吟味する方向に裁判実務は進むべきではないかと考えるからである。」(同479頁)
 
 公認会計士協会は以前非公開株式の評価について中間報告を公表したが、その際の委員であった近畿会の高橋義雄公認会計士による「非上場株式の評価・鑑定の理論と実務」(清文社平成6年刊)は、複数の評価方法併用時のウェイト付けに関し、具体的なルールを提示した点で、江頭教授の問題意識に対する一つの回答例を示した画期的な成果だと私は感じている。
 現在のM&Aの実務では、PERやEBITDAマルチプルが中心で、DCFは後追いの意見書用といった感が否めない。確かに、将来キャッシュ・フローの仮定、無限大の期間の仮定、割引率の仮定という3つの大きな仮定を持ち込むとなると、理論的にはともかく実務の交渉の場でこれを持ち出すことは難しい。しかし論理的にはDCFは美しく整合するものであり、安易な反論を許さない強靭なロジックを持つものであるから、それを静かな研究室のなかで追求した成果である江頭論文は、我々実務家にとっても今一度読み直す意義が大きいのではないだろうか。