寄稿

私の辰歳に想う

畑下辰典

 
 私は、昭和27年、24才の辰歳に公認会計士第二次試験に合格した。その年大学を卒業したから今年の辰歳で満60年となる。
 昭和23年公認会計士法が制定され、昭和2年以来の計理士の横すべりを認めず、23年から25年までの3年間に5回の特別試験があり、合格者は公認会計士となった。24年から年1回の二次試験の合格者は会計士補が登録でき、実務補習又は実務従事3年を経て三次試験を受験し、合格者は公認会計士となる。第1回合格者の早い人は昭和28年登録の公認会計士である。我々の時代は東京に1箇所中央大学に設置された実務補習所があるのみで、他の地域はすべて指導公認会計士の下で研修するか27年から始った初度監査に従事できた公認会計士事務所の職員となった会計士補は恵まれた存在だったと言える。28年合格者で人数が増えてきたので会計士補懇談会を作り、情報交換と、ささやかな士補開業者の事務所運営を聞くなど、大阪にも実務補習所を設置すべしと当時の近畿支部に働きかけたが、入会を奨められ、大量入会して会計士補部会を設置し協会、大蔵省にも働きかけ、その甲斐あって昭和31年実務補習機関が、近畿支部に認められた。敗戦後焼跡の中から立ち上がった大阪の企業との縁づくりは容易なことでなく苦行の士補生活であり、私も昭和35年公認会計士となった。希望のある苦しい時代を今振り返って懐かしく思い出している。